https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B2%A1%E8%A3%BD%E7%B3%B8%E5%A0%B4
年 | 製糸場の出来事 | 周囲の出来事 | ||||
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生糸の産地フランス・イタリアで微粒子病という蚕の病気が大流行 | ||||||
太平天国の乱で清の生糸輸出が不振 | ||||||
日本の鎖国が解かれる | ||||||
1862/- | 日本からの輸出品の86%を生糸と蚕種が占めるが、粗製乱造により日本の生糸の国際評価が低落-> 外国投資の標的へ-> 国策として機械製糸工場を建設する意見が持ち上がる | |||||
1870/06/- | 器械製糸場建設のため、ポール・ブリューナ (Paul Brunat)と仮契約 | |||||
1871/02/15 | 富岡製糸場完成 | |||||
1872/02/12 | 政府から工女募集の布達、しかし工女の不足 | |||||
1872/11/04 | 官営模範工場の一つとして操業開始 | 1875/12/31 | 契約満了につき、ブリューナとフランス人医師が去り、富岡製糸場のお雇い外国人は一人もいなくなる。外国人への支出がなくなり、黒字転換。 | |||
1876/11/尾高惇忠が所長を退く。この年、名称が富岡製糸所へ。 | ||||||
1877/- | 従来、エシュト・リリアンタール社を経てリヨンに輸出されていた生糸が、三井物産によってリヨンへ直輸出されるようにもなり、日本人による直輸出が始まる | 1893/09/10 | 払い下げのための入札。三井家が12万1460円で落札。 | |||
1902/09/13 | 原合名会社へ譲渡。名称が原富岡製糸所へ。 | |||||
1914/ - 1918/ | 第一次世界大戦 | |||||
1929/ - 1939 | 世界恐慌 | |||||
1936/- | 14万7000kgの生産量を記録し過去最高 | 14万7000kgの生産量を記録し過去最高 | ||||
1938/- | 山十製糸の倒産 | |||||
1938/- | ** | |||||
1938株式会社富岡製糸所**として独立 | ||||||
主要輸出先アメリカでナイロンの台頭 | 山十製糸の倒産株式会社富岡製糸所として独04/29 | 片倉称が | 倉富岡糸所**へ。 | |||
1946/- | 名称が****片倉工業株式会社富岡工場****へ。 | 片倉へ合併 | ||||
1952/ | 電化をすすめるために所内に変電所を設ける | |||||
1974/ 生産量37万3401kg 史上最高の生産高 | 操業停止 | |||||
1987/02/26 | 第一次界大戦 | 世界恐慌 | 14万7000kgの生産量を記録し過去最高 | |||