Curioustyle
10/7/2019 - 6:19 AM

190917_富岡製糸場と世界遺産

富岡製糸場の歴史

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B2%A1%E8%A3%BD%E7%B3%B8%E5%A0%B4

◆年表

製糸場の出来事周囲の出来事
生糸の産地フランス・イタリアで微粒子病という蚕の病気が大流行
太平天国の乱で清の生糸輸出が不振
日本の鎖国が解かれる
1862/-日本からの輸出品の86%を生糸と蚕種が占めるが、粗製乱造により日本の生糸の国際評価が低落-> 外国投資の標的へ-> 国策として機械製糸工場を建設する意見が持ち上がる
1870/06/-器械製糸場建設のため、ポール・ブリューナ (Paul Brunat)と仮契約
1871/02/15富岡製糸場完成
1872/02/12政府から工女募集の布達、しかし工女の不足
1872/11/04官営模範工場の一つとして操業開始1875/12/31契約満了につき、ブリューナとフランス人医師が去り、富岡製糸場のお雇い外国人は一人もいなくなる。外国人への支出がなくなり、黒字転換。
1876/11/尾高惇忠が所長を退く。この年、名称が富岡製糸所へ。
1877/-従来、エシュト・リリアンタール社を経てリヨンに輸出されていた生糸が、三井物産によってリヨンへ直輸出されるようにもなり、日本人による直輸出が始まる1893/09/10払い下げのための入札。三井家が12万1460円で落札。
1902/09/13原合名会社へ譲渡。名称が原富岡製糸所へ。
1914/ - 1918/第一次世界大戦
1929/ - 1939世界恐慌
1936/-14万7000kgの生産量を記録し過去最高14万7000kgの生産量を記録し過去最高
1938/-山十製糸の倒産
1938/-**
1938株式会社富岡製糸所**として独立
主要輸出先アメリカでナイロンの台頭山十製糸の倒産株式会社富岡製糸所として独04/29片倉称が倉富岡糸所**へ。
1946/-名称が****片倉工業株式会社富岡工場****へ。片倉へ合併
1952/電化をすすめるために所内に変電所を設ける
1974/ 生産量37万3401kg 史上最高の生産高操業停止
1987/02/26第一次界大戦世界恐慌14万7000kgの生産量を記録し過去最高

◆テーマ

  • 外貨獲得のための一大産業
  • なぜ養蚕が日本の主要産業だったのか?
  • どれだけの外貨をもたらしたのか? 経営収支 片倉財閥と富岡製糸場

工女の生活と福利厚生

  • 「あゝ野麦峠」は何を伝えたかったのか?
    • 富国強兵政策に押しつぶされていった無数の娘たちの哀しい青春
    • 当時はまだ貧しい農村部では、自らが出稼ぎに出る事で実家の食費を浮かし、家計を助けるという「口べらし(=口減らし)」が一般に行われており、みねも家計を助けるために信州の岡谷へ出稼ぎに出た。
    • 多くの少女達が半ば身売り同然の形で年季奉公に出されたのだった。工女たちは、朝の5時から夜の10時まで休みもほとんどなく過酷な労働に従事しました。
    • 通称、百円工女、当時の百円は現在の一千万~三千万円程

時代のキーパーソン

  • ポール・ブリューナ
  • 尾高惇忠- 片倉兼太郎